本当の自分に近づく
神は、いかなるものにも条件付けされません。
現実がポジティブでもネガティブでも、神は神のままです。

現実がポジティブなら、思考も感情もポジティブになる。
現実がネガティブなら、思考も感情もネガティブになる。
これが、私たち多くの人間の在り方です。
この「現実に条件付けされた在りや方」は、私たち自身が無自覚のまま、ほぼオートマティックにおこなっています。
いや、「おこなわれている」と言ってもいいかもしれません。
繰り返しますが、神は、いかなるものにも条件付けされません。
いつも現実に条件付けされながら生きていると、「神である本当の自分」を遠ざけながら生きることになります。
そう。
神は、私たち一人ひとりの中にあります。
イエスさんや宗教の創始者や偉人だけが神なのではなく、私たち一人ひとりが神です。
「神から遠ざかって、何か問題がありますか?」
はい。
神から遠ざかると、誰かや何かに思考と感情を動かされながら生きることになります。
まるで、映画の台本通りに動く役者のように。
この誰かや何かは、世間かもしれないし、メディアかもしれないし、スマホかもしれないし、会社や組織かもしれないし、家族や友人かもしれない。
あなたの思考と感情を揺らしている彼ら彼女らも、あなたと同じように誰かや何かに思考と感情を揺らされ、現実に条件付けされながら生きているかもしれません。

まずは、これらのことを知って、自覚すること。
現実に反応して、オートマチックに動いている(動かされている)自分の思考と感情に気づくこと。
気づいたら、それらの現実や情報から意識を離して、或いは物理的に距離を取って、自分の心を穏やかにしてくれるものに注意を向けましょう。
「いい気分の現実を見て、いい気分になる」
これなら問題がないように思われるかもしれませんが、好みの現実が目の前にないといい気分になれないのなら、結局は同じです。
思考も感情も誰かにつくらされるのではなく、自分で選ぶことが肝要です。
かと言って、ネガティブな思考と感情を無理矢理ポジティブにする必要はありません。
「ネガティブな自分のままでもオッケー」と、自分を受容し続けると、やがて心は静かになっていきます。
できるなら、凪のようなニュートラルな状態に戻れる手段をいくつか持っておくといいですね。
ちなみに、私の場合は仕事がそれなので、本当に助かっています。

目の前の現実に左右されず、私たち一人ひとりが神を生きれば、それぞれが自分で書いた台本を生きることになります。
今日書いたことは、神である本当の自分に近づくための「はじめの一歩」だと思っています。