イエスの教え
今日は以前の記事でもご紹介した、『イエスと接した二人』という本から引用します。
語っているのは、過去世でイエスの姪として生きた女性です。
今夜の彼は、自分も皆と同じように肉体を持ってこの地を歩んでいるのだと伝えようとしている。
彼という人間はわたしたちと同じで、彼にできることはわたしたちにもできるのだということを。わたしたちはただ、その事実を認める意織に内なる自己を開くだけでいいの。
心に従って生き、万物を包む神に繋がっている自分、その自分にその神が内在していると知って再出発すれば、より深い理解に繋がる。
そうして自分で自分自身を、そして他者を癒やすことができると知るの。
それが感情的な癒やしであれ何であれ関係なく。
わたしたち全員に可能性があることを、いずれわかるだろうと彼は言っているわ。
(著者)多くの人は、彼だけがそうしたことをできると思っているのでしょうね?
そのことを訊かれたら、彼はいつも理解してもらおうと懸命に説明するの、自分も他の人たちと同じように創られたということを。
唯一の違いは、彼が人間の持つ可能性に気づいたということだけで、他は何も違わない。
彼は庶民と同じ格好をしているし、特別なことは何も望んでいない。
そこには何の違いもなく、神の法はすべての人を一つにするということを、彼は人々に知ってほしいと思っている。
本当に大切なことは、心に従って生き、お互いに奉仕して思いやりを持つことだけなの。
イエスの教えの真髄がここにあると思います。
と言うか、彼が本当に伝えたかったことは「これだけ」だと思います。
「神はあなたの中に在る」
つまり、イエスと同じように、私たち一人ひとりも「神」だということです。
イエスが望んでいたのは、十字架に磔になったイエスの像や、イエスやマリアの肖像画、その他諸々の偶像に人々が跪いて、「助けてください」「救ってください」「試練に合わせないでください」と祈ることではなく、全ての人に内在している「神の力」を信じること。
教会や寺院の中にいる時にだけ「神」を思うのではなく、日常の中で「神」を思い感じること。
鳥の鳴き声に、川のせせらぎに、昇る太陽に、山や海に沈んでいく夕日に、夜空の星に、動物や子どもの姿に、出会う人々の目の奥に神を感じること。
イエスを崇めるのではなく、彼の生き方を雛形にして、私たち一人ひとりが「独自の神」として人生を生きること。
言い換えれば、私たち一人ひとりは「神という大河」の一滴。
だから、「イエスのように特別な人にしか神の力はない」「普通の人間には何の力もない」というのは、大いなる幻想です。
私たちは、自分の外にある神や仏の力を頼りにするのではなく、自分にしか表現できない神の力が自分の中に在ることを信じるだけでいい。
ただそのことを、「真実として知る」だけでいい。
私は祈ります。
「イエスのように、神としてこの瞬間を生きられますように」
「今の自分が表現できる最大の愛で在れますように」
「この世の全てを、善も悪もない中立な『神の目』で観ることができますように」
この本を読んで、イエスの大きな愛の一端に触れたような気がしました。
興味がある方は手に取ってみてください。
『イエスと接した二人―退行催眠で見えてきたイエスの実像―』
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