ポリヴェーガル理論
最近読んだ本です。
副交感神経の主な神経である迷走神経には「2つの神経枝がある」という、大変興味深い内容でした。

ポリヴェーガル理論では、自律神経系の状態や反応は、交感神経と副交感神経系の相拮抗する二組の神経系の産物であるというふうには説明されていません。
本理論では、自律神経系の機能は進化の階層に則って三つに分けられています。
人間やその他の哺乳類には、(1)有髄化〔絶縁性の髄鞘(ずいしょう)によってニューロンの軸案が覆われること。これにより神経バルスの伝導が高速化される〕されていない無髄の迷走神経経路で、横隔膜より下の内臓の迷走神経制御を行っているもの、
(2)有髄の迷走神経経路で、横隔膜より上の臓器の迷走神経制御を行っているもの、(3)交感神経系、という三つの下位システムがあります。
(1)は、系統発生学的に古い迷走神経(無髄)。爬虫類が危機に瀕した時にシャットダウン(死んだふり)するのは、この神経の働き。
(2)は、哺乳類特有の新しい迷走神経(有髄)。「健康」「成長」「回復」を促すよう働く。この神経が他の2つを抑制し、社会的な交流を可能にする。前提として「安全である」と感じていることが非常に重要。
(3)の交感神経は、言わずもがな。心拍数と血圧を上げ、筋肉を緊張させ、消化を抑制し、「戦うか/逃げるか」を可能にする。
本書によると、横隔膜より上の臓器を制御している新しい迷走神経がヒエラルキーのトップで、その次が交感神経、その次が横隔膜より下の臓器を制御している古い迷走神経となります。
新しい迷走神経回路で保護されている間は、私たちは落ち着いていられます。
しかし、この新しい迷走神経回路の、生理学的反応を制御する能力が失われてしまうと、私たちは「戦うか・逃げるか」という防衛反応に駆り立てられたロボットになってしまいます。
闘争/逃走反応という防衛反応に陥ると、人間や他の哺乳類は、身体を動かしたいと感じます。
そのような中で、孤独であったり、拘束されていて動くことができないと、私たちの神経系は、それを「自分はどうすることもできない状態である」という合図として受け取り、「不動状態」に陥ります。
新しい迷走神経で相手と社会的な交流を図ろうとしても無理な場合、交感神経が作動して「戦うか/逃げるか」の準備に入ります。しかし、戦うも逃げるもできない場合は、最終的に古い迷走神経が作動し、肉体をシャットダウン(気絶、解離、脱糞など)させる。
この自律神経の切り替えは、私たちの意思によるものではなく、身体のシステムが危険の度合いを評価して自動でおこないます(本書ではこの仕組みをニューロセプションと呼んでいます)。
虐待や事故やレイプなどの強烈なトラウマを受けている時に、身体が自分の意思でコントロールできない不動状態になるのは、酷い記憶や痛みから心身を守るための防衛システムなんですね。例えば、電車で痴漢されている時や誰かに襲われそうになった時、叫びたいのに声が出なくなるのも、逃げたいのに身体が動かなくなるのも、この古い迷走神経の働きです。
ただ、ここで問題になるのが、トラウマを受けた後に「過度な防衛反応」が日常生活でも作動してしまうことです。
大きな危険がない一般的には普通の状況でも、身体が言うことを聞いてくれない。例えば、エレベーターなどの狭い場所に入ると不安でどうしようもなくなる、電車に乗るとお腹が痛くなる、大勢の人の前だと声が出なくなる、など。
私の場合、中学時代の同級生のちょっとしたイタズラがきっかけで、人前で小便ができなくなりました。
学校では、休み時間になるとみんなが一斉にトイレへ行きますね。
男子トイレの小便器はズラーッと横並びで10個くらいあって、そこに生徒が横並びでオシッコをするんです。
ある時期、オシッコをしている生徒のお尻に「カンチョー」をする生徒がいました。並んでオシッコをしている生徒を端から順番に「カンチョー」「カンチョー」「カンチョー」とやっていく。
「おい!やめろや!」
「オシッコ止まったやんけ!」
「お前、ええ加減にせえよ!」
などの声が聞こえる中、「次は自分にも来るやん!」というドキドキや不安の中でオシッコをしていると、私も同じように「カンチョー」とされる。
そんなことが続いたある日、他の人が近くにいる場所では小便が出なくなりました。
この作用機序を『ポリヴェーガル理論』で紐解くと、排便をする時に働くのは、副交感神経です。社会的交流に働く新しい迷走神経(横隔膜より上の臓器を制御)と、古い迷走神経(横隔膜より下の臓器を制御)のタッグ。トイレで危険な目に遭うことなんてまずないので、当たり前のようにリラックスして排泄をします。
ところが、排泄中に「カンチョー」をしてくる輩が現れた。これでトイレは安全な場所ではなくなる。交感神経が作動し、身体が「戦う/逃げる」モードに。そんな緊急時に排泄をしている場合ではないので、小便は出ない。
仮に私がトイレでもっと酷いトラウマを受けていたら、古い迷走神経だけが作動してシャットダウンを経験していたかもしれません。そういう経験があると、公共のトイレに入ることすらできなくなった可能性もあります。
著者のポージェスさんはこのように述べています。
私はいつも、臨床家に今までとは違ったことをやってほしいと話します。私は臨床家に、 「トラウマを受けたクライアントに対し『あなたの身体がそのように反応したことを祝福してください』と伝えてください」と言うことにしています。
トラウマのような非常に深い生理学的、行動的な状態を一旦体験すると、たしかに今の社会生活に困難をきたすことがあるでしょう。
それでも、あなたの反応は正しかったのです。
ですからトラウマを受けた人たちは、自分たちの身体がそう反応したことをお祝いするべきなのです。
なぜかと言うとあなたの身体がそのように反応したからこそ、あなたは生き残ることができたのです。その反応は、あなたの命を救ったのです。あるいはひどいケガを負わずに済んだのです。
例えば、レイプのような暴力的な状態で、加害者に抵抗すれば、殺されていたかもしれません。ですから罪悪感を持つ代わりに、そのように身体が反応したということを大いに喜んで、お祝いしてくださいと言います。
トラウマを抱えている人は、人と親しくしようと思ったのに、自分の身体が言うことを聞いてくれなかったことで、罪悪感を持つことがあります。このようなごく単純な内容をクライアントに話してあげただけで、クライアントが自然に良くなった、という電子メールをたくさんの臨床家から受け取るようになりました。クライアントが「自分のしたことは失敗だった」と思わなくなり、そこから癒しが促されたのだと考えられます。
オシッコの途中で「カンチョー」をされたら、学生服のズボンが汚れるかもしれない。そんな危険な状況で排泄するわけにはいかない。
私のニューロセプションは正常な反応をしたんだ。
トラウマと呼ぶにはあまりに小さな出来事ですが、この影響は35年以上経った今も残っていて、男性特有の文化「誰かと一緒に立ちションベン」はできなくなりました。
中学の時の経験を元に、私のニューロセプションが、「他者がいるトイレは安全ではない」と評価するようになったんですね。
それでも、「まあ、こんなもんか」と普通に生きています。
みんなができること、みんなができていることを一緒にできなくても、それはそれでいい。
私の身体は、「それ」を「安全ではない」と察知したのだから。
学校や会社にいると、不安でどうしようもなくなる。
電車に乗ろうとするとお腹が痛くなる。
他者とうまく交流できない。
大勢の人がいる場所に行けない。
これらの反応に罪悪感を抱く必要はない。
なぜなら、あなたの身体の反応は正しいのだから。

「健康」「成長」「回復」を促す新しい迷走神経を働かせるためには、私たちが「安全を感じる」必要がある。
そのためには、新しい迷走神経と交感神経を一緒に働かせる安全な遊びをすること、歌うこと、話す時に吐く息を長くすることなどが本書では推奨されています。臨床家に向けて販売されている「SSP」という音楽療法も概要だけ紹介されていて、これも気になるところです。
迷走神経の働きを深く知るための入り口にはもってこいの本だと思います。
興味がある方は手に取ってみてください。
『ポリヴェーガル理論入門』
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