目
「五郎の目、瀬戸内寂聴みたいやで」
「へ?瀬戸内寂聴?どういうことですか?それ褒めてます?(笑)」
「褒めてる褒めてる。お前、年々子どもみたいな目になってきてるわ。凄いなぁ」
先日のOB会で、ある先輩に言われた言葉です。
瀬戸内寂聴さんのことはよく知りませんが、子どものような目になっているのなら、私としてはとても喜ばしいことです。
少し前に、他のお客さまからも言われました。
「山田さん、〇〇〇(犬の名前)と同じ目してる」

幼い子どもと動物は、基本的に「価値判断」を持ちません。
他者も自分も「ジャッジ」しない、限りなく「ニュートラル」に近い存在。
私たちが、幼い子どもや動物の目を何も恐れずに覗き込めるのは、このためです。
逆に、自我を持った子どもや、大人の目をじっと覗き込んでみると、自分か相手に(或いは両方に)恐れや不安が出ていることに気づくでしょう。
私の目が、子どもや動物の目に似てきているのは、いつも施術で「ニュートラルに存在する」癖がついているからだと思います。
自分と他者を「ニュートラル」に観ていると、自分が他者に価値判断を持っていないことや、価値判断を持っていてもすぐに手放せることに気づきます。
例えば、お客さまが何らかの病気を患っていても「病気の人」だとは思わないし、悩みごとを相談されても「困っている人」だとは思わない。
今この選択をしている「神」だと思って接するように心掛けています。
もちろん、自分も「神」です。

自分も神で、相手も神で、みんなが神。
そういう意識で存在していると、感情も思考も静かになっていきます。
これから何歳になっても、子どもや動物のような目で存在し続けたいと思います。