思考パターンから新しい可能性は生まれない
私たち一人ひとりが持っている独自の思考パターンは、主に過去の感情体験に基づいています。
これらの思考パターンが頭の中で再生されると、その思考パターンが生まれた時に体験した感情も同時にやってきます。
思考パターンとは、自己イメージ、先入観、言動、物事に対する反応の基盤となるもの。
例えば、誰かに裏切られたことがある人は、他者のことを素直に信用できない。幼い頃から周囲の大人が信じる「正しさ」を強要されて育った人は、自分や他者のユニークな在り方を許容できない。自分を否定されて育った人は、自分のことを好きになれないし、自分の才能も力も信じられない。褒められても素直に受け取れない。お金がないことや、老いや病や死を恐れる人の元で育った人は、人生そのものに恐れを抱くようになる。
何年も何十年もこの思考パターンが続くと、やがてそれらは信念(固く信じて疑わないこと)となります。
わかりやすいようにネガティブな例ばかりを出しましたが、これらとは逆の体験をしていると、自分自身と他者の在り方を当然のように尊重できるし、目の前の現実とこの人生も当然のように肯定して生きられる。
そのポジティブな思考パターンがその人の信念となります。

私たちが生きているこの世界は、思考と感情が特有の振動を生み、その振動数と合致した現実(人や物事)が引き合うようにデザインされています。
この仕組みは、テレビやラジオのチャンネルを合わせる行為によく例えられます。テレビのリモコンやラジオのチューナーが思考と感情で、画面に映るテレビ番組の映像や、スピーカーから聴こえるラジオ番組の音声が現実というわけです。
つまり、思考と感情が私たち一人ひとりの現実を創造しているということ。(ただし、思考と感情が現実に固まるまでにはタイムラグがあります)
故に、何らかの思考パターンが創造するのは、過去の繰り返しの現実です。(もちろん、それが好みの現実なら全く問題ありません)
思考パターンから新しい可能性は生まれない。
新しい可能性を生みたければ、幼い子どものように新鮮な目で人や物事を観ること。
過去の感情的な記憶から今を切り離して、記憶喪失のように今を生きること。
目が覚めるごとに新しい一日を生きる。

以上は、昨日の夜に湧いてきた言葉をまとめたものです。
これを書きながら、私もそのように生きたいと思いました。