体は永遠に生きられる

今日は『ラムサ ホワイトブック』より、老化についての言葉を引用します。

興味がある方は読んでみてください。


死ななければならない者など誰もいない。自分が死ぬと言じているときにだけ、あなたは死ぬのだ。しかし、体が死ぬ必要はまったくないのである。体を設計した神々は、時間の中のほんの束の間の一瞬だけを生きるように、それを設計したわけではない。彼らは体を、内臓によって生きるのではなく、分泌腺によって生きるように設計したのだ。つまり体は、分泌腺からのホルモンの流れによって何十万年も生き、けっして老いることがないように設計されたのである。体の細胞構造は、そのようにプログラムされたのだ。あなた方の歴史の中で、それほど遠くない昔にも、数千年も生きた存在たちがいたのである。

死は肉体の終わりに過ぎず、パーソナリティー・セルフの終わりではない。しかし、体の機能が低下していき、死と呼ばれるものへと体が引き寄せられていくのも、パーソナティー・セルフが持つ態度によってである。

あなたの体は、指示されたとおりにしか反応しない。心臓のそばに宿っている魂が、その感情的なシステムを通して、体全体をつかさどっている。魂は、化身の生命を維持するために、全身にホルモンをいき渡らせているものでもある。魂はこれを独自にではなく、あなたの態度や思考プロセスの指示にしたがって行なっている。

あなた方のここでの態度のために、思春期を過ぎると、体内での各種のホルモンの生成が止まってしまう。これらのホルモンがもはや生成されなくなると、死のホルモンが体内で活性化し、体全体が衰え始め、老化と死のプロセスが始まるのだ。体内で死のホルモンが活性化するのは、あなた方が罪悪感と自己審判、そして死に対する恐れの中で生きているからだ。また、あなた方にとって、美とは、ある存在の性格にもとづいたものではなくて、完全に外見的な若さにもとづいたものだ。

自分を埋葬するための保険をかけることによって、あなたは死を予期する。自分が病気になったときに自分の財産を守るために、あなたは保険をかける。あなたは自分の化身の老化と死を早めるために、できることは何でもやっているのだ。というのも、あなたはそうなることを、まったく当然のこととして予期しているからだ。

体は集合的な思考の僕(しもべ)、道具にすぎない。それは実に見事な創造物で、最も高度な道具である。だが、それ自体のマインドを持つようには創られなかった。それは、僕になるという特定の目的のために創造されたのであり、あなたによって許された期間だけ生きるのだ。あなたがもし「老年」という思考を受け容れるならば(つまり体が衰えて死ぬことを当然のこととして予期するならば)、あるいは自分が愛と幸せと喜びを得ることを拒むならば、あなたの体はしだいに衰え、死の崩壊へと向かうだろう。

マスターよ、まさにこの瞬間にでも、もし自分でそれを選ぶならば、あなたは時間を完全に止めて、「今」というこの瞬間の永遠性の中に生きられるのだ。というのも、時間は幻ではないのか?誰が時間を見たことがあるというのか?ここに大きな矛盾がある。なぜなら、あなた方は目に見えないものを信じることは拒むにもかかわらず、時間を完全に崇拝し、その奴隷になっているからだ。

自分の化身の老化プロセスを逆転して若返らせ、ずっと生き続けていける力を、あなたは今、まさに自分の中に持っているのだ。どうやってだろうか?単に自分の態度によってだ。体が年老いて死ぬことを望まないならば、あなたの態度を変えなさい。体は永遠に生きるのだということを、態度で示すのである。そうすれば、そのとおりになる。自分の人生から、人生の終わりを認めるようなものをすべて取りのぞきなさい。そうすれば、そのとおりになる。自分の語彙(ごい)の理解の中に「年老いた」という言葉があってはならない。自分の理解の中に「永遠に」という言葉を入れるのだ。自分の誕生日を祝うのをやめるのだ。というもの、それは自分の老化のプロセスを確実なものにするだけだからだ。自分の誕生を祝うことが喜びをもたらすのであれば、そうしなさい。だが、そうするならば、年齢のカウントを逆にして、ひとつずつ若返りなさい。あなたが死を予期することがなくなれば、あなたはけっして死を体験することはないだろう。

いつでも「今」を生きるのだ。この「今」という瞬間のほかには、どんな未来であろうと、それを認めてはいけない。あなたの「今」は、自分がそれを許すならば、永遠のものになるのだ。

自分があとどれくらい生きるのかということを絶対に熟考してはならない。なぜなら、あなたはずっと生き続けるからだ。自分の体の永続性について熟考しなさい。そうすれば、そのとおりになる。それはただ単に、そうなっているからだ。

マスターよ、自分自身を愛しなさい。体を祝福するのだ。あなたの存在を司っている魂に語りかけ、若さの酵素をもたらすよう命ずるのだ。そうすれば、そうなる。体は永遠に生きられるということを知りなさい。では、どうすれば体は永遠に生きるのだろうか?体に対して永遠に生きるように命ずればよいのだ。

不死というものは、「人間は必ず死ぬものだ」という理解をなくしたときに、はじめて達成される。もし人類の多くが未来や過去に生きるのをやめ、この「今」という瞬間の連続性の中に生き、「生きる」という態度が死を予期することよりも強いものになれば、死と呼ばれる茶番劇をなくすことができるだろう。これからやってくる時代には、それは必ず消滅する。なぜなら、時間はもはや存在しなくなり、これらの理解が、この天界に生きるあらゆる人々にとっての生きた現実となっているからだ。そのとき、死はまったくばかげた「無意味なもの」(nothing)、つまり「ないもの」(no-thing)になっているだろう。


私はこのラムサの言葉を信じていて、自分の思考にも言葉にも「老化」や「老年」はないし、自分を「おっさん」と呼ぶこともありません。他人から見たら「立派に老けてるやん」と思われるかもしれませんが、身体の柔軟性や動きは今が一番いいと感じています。「病気」を想像することも、「人生の終わり」を考えることもありません。

検査結果や医師の診断などの「証拠」を見たり、病に苦しむ人や老化で衰えている人と無意識に接していると、マインドがそれらの情報を「私に起きている現実」「私にもやがて起こる現実」だと認め、やがてその思考が固着して信念となり、現実化は加速します。そんな訳で、健康診断にはここ10年は行っていないし、お客さまから老化に伴う様々な病気や症状の話を聞いても、自分の肉体には適用されないと思っています。いわゆる「老後の備え」も全くしていません。昨年の誕生日からは年齢を逆にカウントするようになり、20年後や30年後が楽しみになりました。

ラムサのように、死なずに肉体の振動数を上げて非物質化(アセンション)することが最終的な目標です。

「そんなん出来たら最高におもしろいなぁ」と、ニヤニヤしながら生きています。


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