人は変えられない
「人は変えられない」
「変えられるのは、自分だけ」
このことを知識として知っている方でも、人のことを「変えよう」としてしまう。
家族や身内になると更にその傾向が強くなる。
いい意味で「他人事」にできないんですね。

例えば、配偶者や子どもに「変わって欲しい」と思う時、「私」は相手のことをどう思っているでしょうか?
もしかしたら、相手のことを「正しくない」「間違っている」と思っているかもしれません。
もっと言うと、「自分の好み」や「常識」とそぐわない。
そういう目で相手を見ている時の「感情」は、どんな感じでしょう?
決して「いい気分」ではないし、相手もそういう目で見られて「いい気分」になるわけはありません。
このブログで何度も書いている通り、感情は「波動」であり、今の自分と「ソースエネルギー(本当の自分)」との調和度を示す指標でもあります。
「ソースとつながっているたった一人は、そうでない何百万人よりも力強い影響力がある」
エイブラハムはこう言っていて、本当にその通りだと思います。
しかし、ソースと離れている人には何の影響力もありません。
影響力がないので、相手の中から自然に生まれる「インスピレーション」を誘発することはできない。
だから、「私」にとって都合のいい何らかの「モチベーション(動機づけ)」を与えて、相手をコントロールしようとする。説得したり、懇願したり、時には怒ったり。
仮に、ソースから離れた波動の「私」が、言葉や行動で相手を動かしたとしても、相手は「あの人を満足させるために我慢して合わせた」「不本意に動かされた」としか思わないでしょうし、その時の嫌な感情はずっと残ります。
誰かにコントロールされることが常態化すると、「人生は不自由だ」とか「人生なんてクソだ」という、人生全般に対する虚無感まで持ってしまうこともあります。
そして、それが後々爆発したりする。
相手のために良かれと思ってやった「私」は、当惑するしかありません。

「人は変えられないけれど、影響を与えることはできる。その影響力は、ソースとつながった時に最大限発揮される」
ソースとつながる感情は、言うまでもなく「安心」や「いい気分」です。
相手のことを安心していい気分で見ている時とは、どんな時でしょう?
それは、相手の「長所」や「好みの部分」に注目している時です。
そういう目で相手を見ていると、見られている相手の方もとても楽なんです。
その逆は、相手の「短所」や「気に食わないところ」を探す「粗探しの目」。
そういう目で見られると緊張してしんどいし、相手もついつい「何なん?」って反抗したくなる。反抗できない子どもや立場的に弱い人なら、人の顔色ばかりを見るようになったり、嘘をついてその場をしのぐクセがついたり、自己否定が強い卑屈な人になっていくかもしれません。
相手の悪い部分を見て、言葉や行動で「変えよう」と努力するよりも、「自分の波動をソースと一致させよう」と努力したり、相手の「いいところ」を探す努力をする方が何倍も何十倍も効果があります。
手っ取り早い方法は、相手の「いいところ」を普段から探して、見つける度にノートに書くか、スマホにメモする。
このノートを書く時のポイントは、「いいところ」を無理に探すのではなく、自然に「あ!ここいいやん!ここが好き!」と、思えるところを書くことです。
無理に探すと、自分の感情が苦しくなる。自然に出てくると、気分が良くなる。ここをモニターしながら書くことが、このノートを書く上で一番重要なところ。
その人以外にも、家族や友人や職場の人の「いいところ」、仕事の「いいところ」、自分の家の「いいところ」、住んでいる街やお気に入りのお店の「いいところ」などを、項目毎にページを作って思いつく度にノートに書き足していく。可能なら、自分の「いいところ」もどんどん書きましょう。
日々ノートを書いている時に気分が軽くなると、自然に自分の中が変わっていきます。
自分の波動が、ソースエネルギーの波動と近くなる。
相手が変わらなくても、自分の波動がソースに近づけばそれだけでオッケーです。
自分が今「いい気分」なら、相手の存在状態も受容できるし、尊重できる。
「あなたの人生はあなたのもの。だから、ご自由にどうぞ」と、心から思えるようになったら、大成功だと思います。



