施術者のマインド その2

私の尊敬するオステオパスは、2016年に受講したセミナーでこう仰っていました。

治療後に変化がなく、更に治療を施すことは良い結果を生まない。

そこにあるのは、怖れ、不安、自信のなさ、罪悪感、「悪い口コミが増えるのでは」という心配。

「結果を出す」ことはベストではないし、義務でもない。

クライアントの状態は、2日後や3日後に変わるかもしれないから。

後は身体が残りの仕事をする。

Find it、fix it and leave it alone.
(オステオパシーの創設者:A.T.スティルの言葉)

施術者はクライアントと過ごした時間にお金をいただく。

治すことでいただくのではない。

「私はあなたと居たことで、死に近づいたのだから(笑)」

この方はオステオパシー歴40年以上の超ベテランで、私が一番影響を受けた先生です。


「あなたと居たことで、死に近づいたのだから」

とまでは思いませんが(笑)、私もこの先生と同じで「治すことにお金をいただく」とは思っていません。

施術の時は「今の私にできる最善を尽くしている」という自負があるので、お客さまからは「その時間」の代金をいただいていると思っています。


身体を傾聴(観察)することについて、彼はこのように表現していました。

家に入らず、庭で傾聴する。

音がするか?

電気がつけっぱなしになっていないか?

台所で何か焦げついていないか?

それらは、夕方まで待てばわかる。

見てはいけない。

探しに行ってはいけない。

見たり、探しに行くと、施術者の痕跡が残るから。

外で待ちなさい。

かなり抽象的な比喩ですが、感覚で仕事をされている方なら理解できると思います。

傾聴する時は、「クライアントの中に入って探しに行かない」ということです。

自然に情報が入ってくるまで、クライアントの外側で静かに待つ。

この授業を受けた頃から、私もずっと待つようになりました。

部屋全体の中にあるお客さまの身体を、ピンボケ写真のようにぼんやりと眺めながら。

長い時は20〜30分ぐらい待つこともあります。

伝説的なオステオパスのウィリアム・ガーナー・サザーランド(1873–1954)も、頭蓋の治療をする前に30分待っていたそうです。

感じている時に「どう記述しようか」と考える必要はない。

「感じる」と「理解する」は、同時にはできない。

感じたことを記述して理解するのはその後になるが、感じたこと全てを解釈するのは不可能で、解剖学的に理解できないことも多々ある。

頭で理解しようとするよりも、感じる方がもっと大きな情報がやってくる(シンボル的なものや、クリアなメッセージなど)。

手は透明に。

見て見ない。

ぼんやり見る。

クライアントは全体(環境)の中のほんの一部、その1%。

見る(look)ではなく、眺める(see)。

以上は、当時の授業中に書いたノートから抜粋しました。

フランス語からの同時通訳をその場でノートにまとめた内容なので、私の勝手な解釈も含まれていると思います(アンリ先生、あしからずご了承ください)。


前回や今回の記事に書いたことは、例え今は意味がわからなくても、気楽に実践し続けていれば、いつかわかるようになります。

私もそうなりました。


余談ですが、数年前にフランス人のオステオパスから治療を受けたことがあって、実はその方もオステオパシースクールでこの先生から学んだそうです。

「私もオステオパシーを学んで、それをベースに施術をしています」「誰から学んだんですか?」というやり取りから、アンリ先生の話になりました。

2回目のセッションの時にスマホで先生の写真を見せると、「オー!アンリ!」と驚いておられました。

彼も先生の授業が好きだったらしい。

なかなか凄いシンクロでした(笑)


「Henri O. Louwette」で検索すると先生のサイトが出てきたので、きっとまだお元気にされているのだと思います。
https://www.conservatoirosteopathy.com/


アンリ先生、沢山の貴重な教えをありがとうございました。

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