世界は私に優しい
数日前、頭の中で響いていた言葉です。
世界は私に優しい

地球ゲームのプレイヤーとしてこの世界に降り立った私たち。
このゲームの舞台である「世界」は、優しさと厳しさの両面を持ち合わせています。
この優しさや厳しさは、プレイヤーの意向に関係なくゲームのストーリーに沿って否応なしに現れる・・・のではなく、実はプレイヤーである私たちが決められる。
正確に言うと、私たち一人ひとりの「在り方」が決める。
在り方というのは、自分がいつも抱いている思考と感情です。信念や観念と言い換えてもいい。
「いつもどんなものを見て、どんなことを信じて、どんなことを考えて、どんなことを話して、どんな気分でいるか?」ということです。
世界や人の平和な面や素敵な面を見て、そこだけに注目していれば、世界は優しくなるし、世界や人の嫌な面や争いや不正を見て、そこだけに注目していれば、世界は厳しくなる。
優しさと厳しさのどちらの面を経験するかはプレイヤー次第。
世界は一つではなく、一人ひとりのプレイヤーがそれぞれの世界を創って生きている。
これが私たちが生きている地球ゲーム(=人生)の実像です。

この話は、映画館のスクリーンに映し出されている映像と、映写機の中に入っているデータ(かつてはフィルムでした)にも例えられます。
今スクリーンに映し出されている映像は、目の前に展開されている「現実」です。
映写機の中に入っているデータは、私の「在り方」。前述した思考と感情、信念や観念です。
スクリーンの映像(現実)を変えたければ、データ(在り方)を変える。
そうすれば、実際の映写機と同じように映像が変わります。
ただし、この映像とデータの関係には「タイムラグ」があって、今スクリーンに映し出されている映像は、過去の自分が創ったデータにより映し出されています。
ここが現実創造の肝で、混乱を招くところでもあります。
今の在り方が現実に反映されるのは未来の話。
それは10分先かもしれないし、1日先かもしれないし、1週間先かもしれないし、半年先かもしれない。
しかも、いい気分から嫌な気分へと、振り子のようにしょっちゅう行ったり来たりしていたら、それも未来に反映される。
それでも、いい気分や安心を維持し続けていると、必ず未来のどこかの映像に反映されます。
極端な話、現実(スクリーンの映像)はある程度無視する。
現実が変わらなくても、「世界は私に優しい」と思って世界を眺めた時には、心が安らぐ方を自然に向いているはずです。
その時の感情を大切に感じ続ける。
現実がどうであれ、今安らいでいる気持ちは本物ですから。
そうやって、気分も思考も言葉も行動も自分で整えながら丁寧に生きていく。
感情の振り子の振り幅をなるべく小さくして、できるなら安心やいい気分の方に長くいるようにする。
映像が変わらなくても、映画のストーリーに目立った変化がなくても、映像に文句を言わず、映画の中に入り込んでジタバタせず、私に優しい世界を眺めていい気分や安らぎを感じ続ける。

次の一歩が、私も世界に優しい。
いい気分や安らぎをくれた世界に、私も優しさでお返しをする。
優しいエネルギーの循環です。
身近な人の話を丁寧に聞き、丁寧に話す。
木々や動物に優しさを送る。
よく見かける人に挨拶をしてみる。
目が合った人に微笑んでみる。
自分にできる範囲で、物理的にも感情(エネルギー)的にもなるべく地球環境を汚染しないよう心がける。
日常の所作を丁寧に優しくおこなう。歩く時も、ドアを開け閉めする時も、物を移動する時も、食事をする時も、家事をする時も、仕事をする時も、買い物をする時も、趣味に取り組む時も、丁寧な優しい所作を意識する。
世界は私に優しい
私も世界に優しい

いつだって私の世界を創るのは私。
あなたの世界を創るのはあなたです。


