人生の終わりを意識する

少し前に来られたRさんが、笑顔でこう仰っていました。

「余命宣告を受けたら、あらゆることがどうでも良くなりました」

今まで気になっていたことや悩んでいたことのほとんどが、「死ぬことと比べたら、どうでもいいことばかりだった」と気づいたそうです。

スピリチュアルヒーラー ダスカロスの言葉です。

「この問題はどのくらい重要なのだろうか。百年経っても相変わらず人々がこの問題について議論を続けているほど重要なことなのかな」

「人生において重要と言えることなど何もない。たいていのことは、まったく取るに足りないことなのだ」(Nothing matters much. Most things do not matter at all.)

ここ最近の出来事を楽しそうに話すRさんからは、神々しさすら感じました。


先日、ある老人介護施設へ行ってきました。

ほぼ毎月施術を受けに来られていた80代のSさん。もう15年以上のお付き合いになりますが、昨年11月から、「先生、今日は空いてますか?」の電話がパタッとなくなりました。12月になっても、年が明けても、夏が終っても、Sさんからの連絡がない。

「もしかしたら、施設に入られたのかも?」と思っていたら、本当にそうでした。

10ヶ月ぶりにお会いしたSさん。少し痩せておられましたが、お元気そうで安心しました。「もう今世でお会いすることはないかもしれない」と思っていた方に、こうやってまたお会いできた。この瞬間が愛おしく思えました。


「自分があと数ヶ月でこの世を去るとしたら?」「目の前の人にもう二度と会えなくなるとしたら?」

お二人にお会いしてから、時々そんな想像をします。

私もRさんのように、あらゆることがどうでも良くなるでしょう。「あれが正しい」「これが間違っている」なんてどうでもいい。辛かったことも、許せなかったことも、悔いていることも、未来への漠然とした不安も、日常の些細なことも、心からの笑顔で「そんなことはもうどうでもいいよ」と言える。私は残された時間を存分に味わいたい。一切悔いのないように、自分の中にある愛を全て表現したい。今目の前にいる存在に優しくしたい。話をゆっくり聞きたい。たわいもないことで笑いたい。

ただそれだけを思って、「今この瞬間」を生きるでしょう。

でも、その「ただそれだけ」がいつもできないのは、この毎日が永遠に続くかのように、日々をただ消費し続けているからなのだと思います。

「え?愛を表現する?」「人に優しくする?」そんなことよりも、目の前の仕事、段取り、効率、タイパ、コスパ、そして未来に備える!これらの方が大事!後悔することがあっても明日取り戻せばいい。明日がダメなら来月。来月がダメなら来年がある。来年がダメなら再来年…..。

そしてこの肉体を使い尽くしたら、また別の肉体に宿って同じことをしてしまう。

以下は、ラムサのちょっとキツい一言です。

輪廻転生なるものは、叡智という結論に到達することを望みながら、使い尽くすことのできる人生を手に入れ続ける必要性にすぎない。

病は辛いことですが、人生に「終わり」があることを、当人だけではなく関係している人たち全員に気づかせてくれる素晴らしい面もあります。

みなさまも時々「人生の終わり」を意識してみてください。

いつもの景色も、身近な人も、通りすがりの知らない人も、きっと愛おしくその目に映るはずです。

最後に、ダスカロスの本から美しい言葉を引用します。

わたしはあなたを愛しています。わたしが表現した全てのものを愛しなさい。他の全ての人達を、自分自身であるように愛しなさい。そして、わたしがあなたをこれまで愛し続けてきたように、これからもあなたを変わらず愛し続けて行くように、あなたもあらゆる生命を愛しなさい。


今日の引用は『キリストのたとえ話』より
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