肉体の知性との共同作業

私たちの肉体には「知性」があります。

心臓が動くのも、体温が調節されるのも、内臓が働くのも、新陳代謝がおこなわれるのも、傷が自然に治るのも、病原菌やウイルスが排除されるのも、全てこの「知性」のおかげです。

私が整体の施術をする際に最も大切にしていることは、お客さまの肉体の恒常性を司っているこの「知性」を尊重し、共同で働くことです。

そのための大前提は、肉体の知性の声が聴こえるまでニュートラルに待つこと。

治そうとする意図も、症状の原因を推理する思考も、過去の施術の成功体験も失敗体験も、かつて誰かから教わったことも、病気が悪く健康は良いなどのあらゆる価値判断も、結果への期待も不安も全て一旦脇に置いて、知性の声が聴こえるまで感情を凪のようにして待つ。

私の場合は、お客さまの両足首に触れてじっと待ちます。

その間、お客さまの身体の中や外には様々な動きが現われます。

その動きが落ち着いて、「ここ」という部位を教えてくれるまで待ちます。

時には1分で教えてくれることもあるし、20分ぐらい待つこともあります。

1分はすぐだし、20分って長いなぁと思います。

でも、早ければ良いわけでも、遅いければ悪いわけでもありません。

私という存在を介してお客さまの身体のシステムが落ち着くのに、その日はそれだけの時間が必要だった、というだけのこと。

価値判断はしません。

「ここ」という部位がわかれば、そこに手を当てます。

仰向けに寝ているお客さまのお腹に手を当てることもあれば、背中とベッドの間に手を差し入れることもあります。

手を当てた後も、ニュートラルに待ちます。

やがて、お客さまの身体が必要としている圧や力の方向などを感じ取って、手が勝手に動き出します。

手で優しく触れているだけのような施術がほとんどですが、時には指圧の様に強く押すこともあるし、関節を動かすこともあります。

やがて、その部位の調整を終える感覚が自然にやってきます。

そこが終わったら、次に触れる部位が感じられ、またその部位に手を当てて同じことを繰り返します。

同じように、全身の調整を終える感覚も自然にやってきます。

それは、全身が一つになって呼吸しているように感じられることもあるし、空間全体がキラキラすることもあるし、全身が全方向に拡がるように感じられることもあるし、静かな海のように感じられることもあるし、森の中の湖のように感じられることもあります。

肉体の知性もパーソナリティーも含めて、相手の存在そのものを尊重し、やるべきことが感じられるまでニュートラルに待つ。

今の私にできることはこれだけです。

だから、どんな理由でここを調整したかや、どのくらいで治るかなどの説明をうまくできないことがほどんどなのですが(笑)、今はこれでいいと思っています。

これからもより深く、肉体の知性との共同作業を続けていきたいと思います。

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