美しい心

今日は、『愛という名のエリクサー』という本の中から、ラムサの言葉をご紹介したいと思います。

ラムサは、今から3万5千年前の地球に生きていた男性で、「死」を経験せずに自分の肉体の振動数を上げてアセンション(高次元へ移行)した存在です。

長い引用になります。

興味がある方は読み進めてみてください。

あなた方に言っておくが、最も高潔で美しい男とは、神の美徳とともに歩き、スピリットとしての自分に妥協せずに従っている男のことだ。

それは、鏡に映った自分の姿ゆえに自分を愛する男ではなく、自分の目から発しているもの、自分の口から語られるもの、自分が流す涙の中で感じるものゆえに自分を愛する男である。

それが美しい男だ。

つまり、自分が言ったすべての言葉を、百年経っても恥じることなしに受け入れる男、正直で、ご都合主義者ではない男である。

それは、自分のマインドを最も賢い方法で使う男であり、「一日の終わりの最大の満足は、セックスすることにあるのではなく、より崇高な視点から見て、自分の人生に与えることができた影響の大きさにある」ということを理解している男である。

偉大で美しい女とは、顔やスタイルによって評価される女ではない。

あなた方の大多数がそれらに夢中になっているが、それは人生ではない。

あなた方は人生において、生物学的な自然なサイクルとして、すばらしい時期を与えられる。その時期、あなた方は外見において最も美しく、子供を産む機会を与えられる。

その時期、あなた方はスタイルもいい。つまり胸もあり、子宮もあり、顔も美しい。だがそれは、ほんの一時(いっとき)にすぎない。それは単に、相手の気を引いて性交するためのものだ。

だが、本当の美しさは体とは関係ない。

それはスピリットの独自性のことであり、躍動する目と鋭いマインドのことであり、人生における挑戦をよく理解しているスピリットのことである。

それは、他人に頼らず、男に頼らないスピリット、男を罠にかけながら生きていないスピリットのことである。

女でありながら霊的なキリストになるということは、まさに注目に値する驚くべきことだ。それは賞賛に値することであり、空に2つの月を見るよりも珍しいことだ。

そういった存在は自分自身の力によって自己充足的であり、自分自身を愛することになる。

自分自身を愛するとき、あなたは自分の思考を完全なものにし、自分の行動を完全なものにし、自分の夢を完全なものにする。

すると、突然、自分の現実の中心は他人ではなくなり、自分自身になるのだ。喜びの中心が他人ではなく自分自身になるのである。

そして、一日の終わりに自分に幸せと満足感をもたらしてくれるようなことをやるようになる。

それは、「自分がやったことは自分の肉体よりも偉大なことであり、遺伝子よりも偉大なことであり、性別よりも偉大なことだった」という満足感である。

そして、その日の夜にあなたは実感するのだ。「自分は今日、人間関係を超越した偉大なもののために生きた。それによって自分は、さらに賢く、さらに美しく、さらに霊的になることができた」ということを。

あなたが肉体を磨くなら、たいていの場合、あなたはマインドを飢えさせることになる。

肉体、すなわち体内の化学物質の反応のために、あなたはマインドを飢えさせることになるのだ。

知ってのとおり、あなたは「化学物質の塊」だからだ。

肉体的満足感のために、あなたはマインドを飢えさせるが、あなたはそれが生きることだと思っている。

だが、「もしかしたら、生きることはもっと高尚なものであり、極めて鋭敏でパワフルなマインドを使って何でも現実化できるものなのかもしれない」という考えが頭に浮かんだことはあるだろうか?

そのような生き方は肉体を除外するものだろうか?

違う。肉体は、偉大で有能なリーダーが住まう完璧な神殿となるのだ。

これは、あなたは一切、性的関係を持たなくなるということだろうか?

そうではない。それらの関係はより大切なものになり、よりリアルで、その瞬間にとどまったものになり、うわべだけのものではなくなる。

これは、あなたがビジネス・チャンスを逃すということだろうか?

違う。あなたはもっと賢くなり、もっと利口になり、もっと多くを知るようになるだけだ。あなたはそれらのゲームの何光年も先を行けるようになるだろう。

あるいはこれは、あなたが世界を見るチャンスを逃すということだろうか?

ひとたびあなたがここかしこにある縮図を通して世界を見れば、世界がいかに無知であるかがわかるだろう。

ここまでの話で私が教えたことを、何人が理解しただろうか?

自分の内面のどこかで、われわれは自分が崇高な存在であることを知っている。

あなたはいつそうなることを選ぶのだろうか?

あなたがこれらの感情の分子を生産し続けるのをやめ、それらを「生きる理由」とみなすのを本気でやめるときだ。

生きる目的は、あなたが何を食べるかといったこととは関係がないし、あなたが誰を誘惑するかといったこととも関係がない。

それは、自分以外の誰かとは関係がない。

「脳から体へ、そして体から脳へ」という分子の循環という形で感情として測定できるどんな快感よりも遥かにすばらしい何かのために、あなたは生きているのだ。

あなたは肉体の感覚以上の存在にならなければならない。

私はこの本を4回ほど読み返していて、読む度にいつも新しい発見があります。

そして読む度に、自分の中にある「美しい心」を過去に沢山裏切ってきたことや、今もまだ裏切り続けていることに気づかされます。

私たちは、本当は誰の声を聴くべきなのか?

社会生活に適合して、より賢く生きるために、世間の声を聴くべきなのか?

動物や獣のように欲望の声に従うべきなのか?

過去にやったことや、まだ起こっていないことに対する恐れで一杯の頭の声を聴くべきなのか?

それとも、これらの声に従うことについて、いつも言い訳を用意している別の声に従うべきなのか?

ラムサは、私たちの全てを知っている「もう一人の自分」、「観察者」の声を聴くべきだと言っています。


「もう一人の自分」とは、道徳心と高潔さを持った「美しい心」。

赤ちゃんの目を覗き込んだ時に感じるあの感覚が、それです。

一点の曇りもなく、何の価値判断も持たない、純粋な愛。

私たちの心の中にいる観察者もまた、赤ちゃんと同じ目を持った、賢くて崇高な存在です。

私はあの目を何度も裏切ってきました。

自分の気分をいつも観察し、「いい気分」を選び続けて生きる。「ホッとして気分が楽になる」思考を選び続ける。

これらは、本当の自分を生きるための第一歩です。


その先にあるのは、「美しい心」を裏切らない生き方。

それは、私たちの心の中にいる、賢くて崇高な存在の小さな声を聴き続ける生き方です。


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ラムサの学校 オフィシャルサイト
https://ramjapan.com/book_elixir_page/

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